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  • 森のなかで暮らしたい

    北海道で暮らしているうちに、

    ある思いが次第に強くなってきた。

     

    「森のなかで暮らしたい」

     

    週末の余暇にキャンプを楽しむとか、

    そういった類いの話ではない。

    生活の拠点そのものを

    森へ移したいのだ。

    勿論、実際に森で暮らすことが

    容易でないのは分かっている。

    インフラは整っていないだろうし、

    街の生活と比べ、不便極まりないだろう。

     

    何より家族だ。

    自分が好きで行くのならまだいい。

    だが、家族を連れて森で暮らす決断ができる人は

    そう多くないはずだ。

     

    というより、そもそも自分はなぜ

    森で暮らしたいなどと考えているのか。

    森での暮らしを夢見る前に

    ここを詰めておかないと

    後々悔やみそうな気がする。

     

    考えてみるに、

    街の生活のなかで

    ふつふつと湧いてくる違和感が、

    自分を森の生活へ駆り立てているように思う。

     

    街の生活は便利だ。

    電気も水もネット通信も、

    当たり前のように使える。

    食品も、近所のスーパーに行けば

    いくらでも新鮮な状態で並んでいる。

    だが、その便利さの恩恵を受けながらも、

    しばしば思うことがある。

     

    自分の生活は、

    いったいどこまで自分の手で

    成り立っているのだろうかと。

     

    多くのものは、誰かが作り、

    誰かが整えてくれた仕組みの上で成り立っている。

    自分はそれに肖っているだけで、

    まるで他人の手に生活を委ねているみたいだ。

    もちろん、社会とはそういうものだし、

    現代社会が成り立っているのも

    先人たちのおかげだ。

    特にインフラ設備を自分で賄って生きることなど、

    現実にはほとんど不可能だろう。

    そこを否定するつもりはない。

     

    それでも、ときどき思う。

    もう少し自分で考え、手を動かして生活したい。

    だからこそ、安直にも「森で暮らしたい」という考えが

    浮かんだのかもしれない。

     

    森で暮らすことは、おそらく不便だ。

    いや、かなり不便だろう。

    だが、森で暮らせば自分で考え、

    解決しなければならない。

    そうしてこそ、自分の生活の

    舵取りをしている感覚を味わえるのではないか。

     

    北海道では、街から少し車を走らせれば、

    配電線路や通信網も

    行き届いていない場所に入っていける。

    次第に民家が少なくなり、

    道路の両端には木々が生い茂ってくる。

    その先に、自分の求める生活が待っている気がする。

     

  • 北の風が吹くとき

    先日、夜中に猛吹雪の日があった。

    そんななか、仕事で呼び出しがあり、眠気と戦いながら身支度を整える。

     

    外に出ると、叩きつけるように風が吹き、顔に当たる雪はまるで針のようだった。

    正直嫌々ながら職場へ向かっていたのだけれど、ふと思った。

    こんな過酷な環境は、本州では想像もできないのではないか、と。

     

    北海道を「試される大地」と例える言葉がある。

    実際に暮らしていると、まさにその通りだと思う。

     

    だが、冬になると当たり前のように暴風雪に見舞われる。

    なんでわざわざこんな厳しい環境に住んでいるのか訊きたいぐらいだ。

     

    でも、きっとこの土地には、ここでしか感じられない何かがあって、

    それが自分の心を掴んで離してくれない。

     

    自然の迫力だけではない。

    そのなかで暮らす人々の営みや、そこから生まれる文化にも宿っているのだろう。

     

    北海道の広大な大地や、そこから生まれる風物に触れるたび揺れる自分の心は、

    まさしく北の風に靡いている。

    旗が靡くのを見て、風が吹いていることを知るように。

     

  • 批評ってなんだろう

    最近、何かひとつの物事に対して

    じっくり考えられる時間が減ったように思う。

     

    それは別に、外の世界に関心を持てなくなったとか

    一人で落ち着いて過ごせていないからではない。

     

    九時五時のおかげで金銭的には安定したし

    恋人と共にする食事は

    何よりも安らぎに満ち溢れてる。

     

    それでも、そうした生活のなかで

    感じたことを内省するという時間は

    少なくなってしまった。

     

    学生の頃のように

    文章を書くという機会が

    なくなってしまったからかもしれない。

     

    そこで、ふと思った。

     

    日々の思い出は、瞬間瞬間を

    写真や動画で切り取ってしまえばある程度はそのまま残せるだろう。

     

    だが、その節々で自分の内に湧き立つ機微というものは

    言葉にしないと残せないんじゃないかと。

     

    そうでもしないと、心という器官が

    次第に麻痺していくような気さえする。

     

    楽しかったとか、印象的だったとか

    その場で浮かんだ感想だけをなぞるだけでは

    どうも足りない。

     

    その時々に何を感じ

    どう揺さぶられたのかをもう一度掘り下げて考えてみたい。

     

    そんなことができる場所が

    欲しいと思った。